調査によると、ほぼ全員(85%)の麻酔科医が少なくとも1回の投薬エラーを犯したことを認めている。1 明らかに、これらのエラーの大部分は重大なものではないが、最近のトラネキサム酸(tranexamic acid, TXA)のアンプルをブピバカインに取り違える一連のエラーのように致命的となるものもある。2 多くの場合、「影響が小さい」ことと「致命的」なことの違いは純粋な運である。麻酔科医が起こす注射器の取り違えは、メトトレキサートの代わりにビンクリスチン、またはヘパリンフラッシュの代わりに1mLあたり10,000単位のヘパリンといった取り違いよりはむしろ、ネオスチグミンの代わりにベクロニウムであった(比較的よくある注射器の取り違え)。3 このような注射器の取り違えが発生して患者に被害が及んでしまった際に、審査担当者や関与した臨床医でさえ、なぜそのような間違いが起こったのかと困惑することがよくある。この記事を通して、このような誤りを導きうるいくつかの既知の認知プロセスを議論していく。
システム1思考とシステム2思考
認知としての科学、つまり私たちがどのように考えるかという科学は、かなり前から存在してきた。人間が無意識的および意識的に考え行動し、これらの思考様式が特定の誤りに関係しているという知識は、以前にJames Reasonによって説明されたが4、1970年から約15年間にわたるAmos TwerskyとDaniel Kahnemanの共同研究を通じて、より深い理解が得られた。5 Kahnemanが「限定合理性」と呼ぶこの研究により、彼は2002年のノーベル経済学賞を受賞した。若くして亡くなっていなければ、この賞をTwerskyと共同受賞していたはずである。6 Kahnemanは、彼の総括的な著書である速い思考と遅い思考 (Thinking, Fast and Slow)で、彼がシステム1思考とシステム2思考と呼ぶものについて深く掘り下げている。5 システム1は、とてつもなく高速で無意識かつ努力を要しない自動的なプロセスである。このシステムによって、人間は周囲の絶えず変化する世界を認識し、その認識をメンタルモデルに当てはめ、再び無意識かつ簡単に行動を決定している。。たとえば、仕事から家に運転して帰るとき、無意識のうちに、システム1が左側にガソリンスタンドがあることを認識し、家まで戻るには右折する必要があると判断している。
システム1は、2+2または2×2の答えを素早く簡単に提供する (メンタルモデルが存在する)。ただし、システム1は27×14の答えを提供できない(事前のメンタル モデルがない)。この計算にはシステム2が必要である。これは、掛け算の原理に基づいて答えを導き出す、努力を要する、ゆっくりとした、慎重で意識的なプロセスである。人間は一日を通じてこれら2つの思考システムの間を行き来し、常にシステム1で認識して行動することを好むが、システム1に現在の状況に適合するメンタルモデルが存在しない場合には、システム2を導入する。私たちは、システム1の新しいメンタルモデルを際限なく作成している。新しい趣味を始めたり、新しいスキル(動脈ラインの配置など)を習得したりするたびに、まずはそれらの手順を苦労しながら習得するというシステム2のプロセスから始めていく。この手順を繰り返し行うことで、新しいスキルはJames Reasonが「スキーマ」と呼ぶ、目標を達成するために実行すべき一連のタスクの精神的構築に移行する。
システム1の思考がどのように誤りにつながるか
人間はシステム1(努力不要、無意識、自動で作業すること)を強く好むが、この思考の好みから誤りが生じてしまう。システム2で珍しいプレゼンテーションを評価するには努力が必要である。人間は努力を嫌うため、すぐに思い浮かぶ潜在意識のメンタルモデルが選択される。選択されたメンタルモデルに適合しない現在の状況の特性は、破棄または無視される可能性がある。システム1はシステム2の思考をひそかに無効にすることが可能だ。たとえ事実が分かっていても、人間は間違った選択をしてしまう事に気付いたことがきっかけとなり、KahnemanとTwerskyの研究は始まった。この有名な例として、以下の単純な問題がある。
- ボールとバットを合わせて1.10ドルである。
- バットはボールより1ドル高い。
- ボールの値段はいくらであるか?
非常に簡単な計算でボールの値段が5セントとわかる場合でも、即座に、そして楽に思いつく答えは「ボールの値段は10セント」である。システム2が容易に、そして意識的に計算できる場合でも、システム1は最も簡単で「最も手軽な」答えを選ぶ。システム1がシステム2を無効にする別の例を図1aと1bに示す。1aを覆うと、2本の水平線の長さが等しいことは明らかであるが、1bを覆うと、システム1は2本の線の長さが等しいことをどうしても受け入れることができない。
これら2つの概念は、速い思考と遅い思考の最初の2章に過ぎない。システム1が私たちの合理的なシステム2をひそかに覆す状況は他にも数多くある。システム1には認知バイアスがあふれており、私たちを頻繁に誤った方向に導く。6 しかし、これら2つの例は、私たちのエラーの多くを説明するのに十分な証拠を提供する。
認知エラーと薬物安全性
APSF Newsletterでは、最近相次いで発生した帝王切開におけるアンプルとバイアルの取り違いの詳細を発表しており、これらの事例ではTXAのアンプルが誤って吸引され、脳脊髄液に注入されていた。7ほとんどの人は、このようなミスはしないだろうと考えているが、取り違えられた「よく似た」アンプルとバイアルをちらっと見れば考えさせられるはずである(図2)。網膜、視神経、そして光学皮質はアンプルをトラネキサム酸と正しく認識するかもしれないが、システム1の思考では「脊髄麻酔」というメンタルスキーマを実行しているため、アンプルは必ずブピバカインであるに違いない。これがシステム1の報告であり、行動の根拠である。図1aと1bの場合と同様に、システム1の思考では、実行されているメンタルモデルに基づくものの見方してしまう事から、実際にシステム1に期待されるものの見方が出来なくなるのだ。

図2:類似バイアルの例(APSF 類似バイアルギャラリーより提供)。https://www.apsf.org/look-alike-drugs/。
システム1が無意識であるという事実を踏まえ、エラーを回避するために何ができるだろうか?答えは簡単である。システム1が破壊できないフェイルセーフなプロセスを構築することだ。TXAは麻酔専門職に注入バッグで提供し、アンプルでは決して提供しない。7 注入バッグを脳脊髄液に注入するというメンタルモデルはない。次のステップとしては、薬局にブピバカインをNRFit針にのみ接続できるプレフィルドNRFitシリンジでのみ供給してもらうことが挙げられる。その他のフェイルセーフ介入としては、バーコード投薬がり、薬剤を視覚と聴覚の両方で提示するものである。2つの感覚を使うことにより、エラーを検出する機会が2回得られる。より安価であるが効果的なアプローチは、外回りの看護師のみがTXAを調剤キャビネットから取り出す権限を持ち、脊髄麻酔または硬膜外麻酔が完了するまでTXAの供給を禁止するというものだ。
残念ながら、強制機能やフェイルセーフプロセスのほとんどは、「もっと頑張れ」という励ましよりもコストが高く、実装がはるかに困難である(図3)。さらに、麻酔専門職として、私たちはしばしば「自分は平均より優れている」と信じ、プレフィルドシリンジや薬局で購入できる薬剤、手術室のバーコード付き薬剤管理システムは必要ないと考えている。もし私たちが本当に「注意深く」、つまりシステム2を使って潜在意識の計画のあらゆる段階で自分の行動を監視できれば、おそらく間違いは起こらないだろう。しかし、システム2は努力を必要とする。ハイキング中に27×14の答えを求められたら、ハイキングをやめるであろう。なぜなら、私たちの努力の蓄えには限りがあるからだ。肉体的、感情的、そして精神的な努力はすべて、同じ蓄えから引き出されるのである。あらゆるタスクにおいてシステム2を使うためには精神的な努力が必要であり、その精神的な努力を継続して費やすことは不可能である。幸いなことに、投薬ミスを減らすためのフェイルセーフ機能や強制機能のほとんどは、ある程度のコストはかかるが、法外な費用がかかるものではない。人間工学エンジニアや投薬安全性の専門家は長年、人間の努力だけに頼る介入は効果がないと主張してきた。
私たち医療専門家は、自分たちが絶対的な存在ではないことを受け入れなければいけない。システム1が象でありシステム2が象の乗り手であるとすれば、象の乗り手の努力だけでは、象を正しい道に導く事は出来ないのである。私たちは、病院に対し、「もっと頑張る」以上のツールを提供するよう求めなければならない。
Joyce Wahr, MDは、University of Minnesota Medical School, Minneapolis, MN. 誉教授である。
Joyce Wahr, MDは、「麻酔と周術期における薬物安全性」の出版により印税を受け取っている。
参考文献
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