オンラインで元記事を参照のこと:https://www.apsf.org/article/perioperative-brain-health-its-not-all-positive-attitude-exercise-and-superfoods/
はじめに
麻酔患者安全財団(APSF: Anesthesia Patient Safety Foundation)の設立から35年が経ち、麻酔によって患者に危害を加えてはならないというMacintoshの格言を私たちは思い出す。1 60年以上前に明確にされたこの概念はAPSFの基礎を築き、安全、看視、そして安全アウトカムの果てしない追求への私たちの呼びかけを成文化した。当時の目標は明確だった。心停止、低酸素症、ヒューマンエラーなどの測定可能なイベントに対処すること。上記は非常に重要だが、患者安全の未来ははるかに広大である。GabaとWeingerの患者安全の定義を私たちが修正したものから始めよう:*
安全とは、ケアプロセスによる害を防ぐようにケアを提供するやり方であり、ケアのシステムに組み込まれている人間の行動である。安全は、私たちが積極的にそれを達成しようとするときに発生するシステムの創発的な特性である。*
* David GabaとMatthew WeingerがAPSF理事会で発表した。個人的なコミュニケーションによって、改作と引用の許可を得ている。
David Gaba、MDとJeffrey Cooper、PhDは、私たちの過去の成功の基盤は標準とガイドライン、技術的解決策、人的要因、および安全の制度主義への信頼から生まれたと述べている。2,3 私たちの専門は患者ケアの最前線にあり、患者にとって最も重要なこと、つまり患者の「健康寿命」に取り組んでいると断言する。私たちは周術期ケア全体を通してチームとして働き、機能的、心理的、および認知的健康を改善して患者を帰宅させる。
最もひそかな悪役である術後せん妄(POD: postoperative delirium)と戦うための追求はとらえどころがなくあまり明確ではないが、私たちの専門の安全イニシアチブの手ごわい敵である。確かに、PODの病態生理学、診断と識別、および監視と治療を進めるためのツールの包括的な理解に関しては埋めるべきギャップがある。手術後の神経認知アウトカムを改善するための研究と実施戦略のためのリソースが必要である。
周術期の医師としてPODの重要性を無視することはできない。米国の人口の高齢化は、患者の3分の1以上が65歳以上になると予測している。これらの患者のPOD推定発生率は5〜50%の範囲であり、米国でのせん妄関連の医療費1,500億ドルに寄与している。4 最後に、これらのケースの多くはケア経路とベストプラクティスを通じて予防可能であると考えられている。4
標準とガイドラインとテクノロジー
GabaとCooperが指摘しているように、ASA1 患者でシックスシグマの安全レベルを達成することに成功した麻酔科の歴史は、主に私たちの専門がガイドラインと標準的な操作手順を順守していることに起因している。3 2つの最近のコンセンサスステートメントはPODの現在の理解を導いている。2018年の周術期脳健康イニシアチブサミットレポート5 は、ベースラインの認知機能低下または認知症、視力低下、聴覚障害、重度の病気、基礎感染などの素因となる危険因子についての現在の理解を特定した。PODの病態生理は明確に定義されておらず、明確なバイオマーカーは現在存在しないが、神経伝達物質の不均衡、炎症、ストレス反応、細胞代謝、既存の神経学的脆弱性、ネットワーク神経生物学の変化などの相互に関連するメカニズム(図1)によって、手術ケアが術後せん妄の頻度と結果の重症度に寄与する理由を説明できるかもしれない。6
American Society of Anesthesiologists Perioperative Brain Health Initiativeと2015 American Geriatrics Society Guidelines7 はどちらも、手術前と手術後のリスクの術前測定基準として認知スクリーニングを推奨している。多くの専門家は精神状態検査またはこの評価ツールの短縮版(図2に見られるMMSEまたはミニ認知質問票)の術前使用を提唱している。錯乱評価法(CAM:Confusion Assessment Method)、CAM-ICU、看護せん妄スクリーニングスケール、またはせん妄症状インタビューを含むPOD診断のためのさまざまなツールが利用可能であり、それぞれが受信者操作特性のトレードオフを備えている。8 しかし、短縮されたトレーニングでは1回の手術入院内で重症度が悪化および改善することが知られている状態の診断率が不正確になることがよくある。単一のツールの使用に収束させるということは今のところないが、両グループは最前線のスタッフにPOD診断ツールの追加のトレーニングと経験を積むことを推奨している。

図2:Mini-Cogテスト。Mini-Cog®に「時計描画テスト」と「3つの言葉の記憶確認」の2つからなり、それぞれの正確さを採点し合計点を出すことで、認知障害の検出を高めることができる。テストは合計5点で、3つの言葉の記憶確認は3点、時計は2点である。合計点が3以上の場合、認知障害の可能性が低いことを示す。Mini-Cog®の著作権、Dr. Soo Borson(許可を得て使用)。詳細については、mini-cog.comを参照。
PODを予防するための現在の戦略には、ベンゾジアゼピン、抗コリン薬、高用量コルチコステロイド、メペリジン、および一般的な多剤併用を含む高リスク薬の最小限の使用が含まれる。現在の文献では最初のステップとして非薬理学的治療措置を提唱しており、患者に自傷行為または他人への危害の可能性がない限り抗精神病薬の使用抑制を求めている。
麻酔学は、器具とモニタリングの設計において工学的および人的要因を駆使して多くの安全目標を達成した。この歴史を念頭に置いて、私たちはPODの削減に向けた技術的解決策を模索し続けてきた。私たちの専門は、全身麻酔薬の深度を減らすために、脳血流の特殊なモニタリングとEEGベースのモニタリングを開発した。初期のデータでは過度の麻酔深度がPODの素因となる可能性があることを示唆していたが、9 最近のENGAGES試験10 の結果はこの仮説を支持せず、最近のガイドラインとは相反している。7
私たちの研究におけるギャップ—APSFの役割
脳は全身麻酔の標的となる末端臓器である。手術後の神経認知の回復は必ずしも簡単な過程ではなく、よく理解されていない。それにもかかわらず外科サービスの需要は継続し、神経認知の健康のための最良の周術期診療への私たちの関与が重要である。そのため、我々は外科患者の脳の健康を最適化するためにリーダーシップを発揮するべきである。
幸いなことに私たちの分野は、脳の健康に関する知識のギャップに対処するために科学的および臨床的に適した立場にある。基本的な科学モデルを使用して人間の参加者のせん妄の神経炎症サインを追跡することができる。11 ネットワーク神経科学アプローチにより意識のレベルと内容に関連する脳の状態遷移を研究できる。臨床現場に置き換えると、予備分析によりせん妄に関連する神経生理学的特徴が特定された。12 このように、臨床スペクトル全体で病的脳状態に関連する神経科学を進歩させる機会によって、認知機能障害の基本的な理解に寄与し、周術期を超えて価値を拡張する可能性がある。最後に、周術期の神経科学が成熟するにつれて、周術期の脳の健康を最適化することを目的とした介入の実施障壁を調査する時期が来ている。13
今、するべきことは?実践科学と質改善の役割
Christian Guay, MDとMichael Avidan, MDは最近、脳の健康とPODを単一の症候群と見なしたり、そのように扱ったりすべきではないと主張した。14 むしろ、それはいくつかの共通の特徴を共有する異種の障害の集合である可能性がある。最も説得力のある再現可能な介入は、複数の修正可能な危険因子を対象としている。これらの介入は、Hospital Elder Life Programと同様に、認知的見当識、社会的支援、睡眠プロトコル、離床、および医療スタッフの教育を使用して、高齢の入院患者の認知的および機能的低下を軽減する(表1)。科学研究がより正確な介入を余儀なくされるまで、私たちは、質改善、実践科学、および工学科学からの品質管理の従来の方法を適用し、修正可能な危険因子予防を臨床ワークフローに織り込む必要がある。
表 1:認知および機能の低下を緩和するために提案された介入
介入 | 説明 |
コア介入 | |
毎日の訪問者/オリエンテーション | ケアチームメンバーの名前とスケジュールが記載されたオリエンテーションボード |
治療活動 | 1日3回の認知刺激 |
早期離床 | 歩行またはアクティブな可動域エクササイズを1日3回 |
視覚プロトコル | 視覚補助と適応機器 |
聴覚プロトコル | ポータブル増幅装置と特別なコミュニケーション技術 |
口腔容量の補充 | 摂食と飲水の支援と励行 |
睡眠の強化 | 非薬理学的睡眠プロトコル |
プログラム介入 | |
老人看護アセスメント | 認知機能障害に対する看護アセスメントと介入 |
多職種回診 | 患者について話し合い、目標を設定するための週2回の回診 |
医療従事者の教育 | 正式な講義、1対1の相互行為 |
コミュニティのつながり | 自宅への移行を最適化するための紹介とコミュニティ機関とのコミュニケーション |
老人相談 | プログラムスタッフによる的を絞った相談 |
多職種協議 | スタッフによる紹介時に必要に応じた相談 |
Inouye SK、Bogardus Jr ST、Baker, DIらの許可を得て改作。 Hospital Elder Life Program:高齢の入院患者の認知機能低下を防ぐためのケアモデル。J Am Geriatr Soc.2000;48:1697-1706.
まず、最前線の周術期臨床医は手術前の認知機能の測定に取り組むべきである。Mini-Cogテスト(図2)などの単純な認知ツールは、待機的手術の前に、プライマリケア、麻酔科、老年科の診療所で適用できる。これらのツールは、個々の患者のベースライン測定を確立するためのプロセスデータを提供するだけでなく、縦断的研究の母集団データとしても役立つ。2018年にAPSFで開催された周術期脳の健康に関する講演でDeborah Culley, MDは、クリニックのワークフローを変更せずにMini-Cogをいかに迅速に展開できるかを聴衆に示した。
第二に、PODの既存の評価ツールの正確性は不足しているけれども、特に老人患者やPODリスクが高いその他の患者の場合、せん妄評価を最前線の臨床医の通常の診療に浸透させるべきである。臨床医がこれらのツールに精通していることを維持しプロトコル順守からの逸脱を防ぐために、定期的にスケジュールされた教育を標準とするべきである。検索と診断の行為を体系化することにより、最終的には第1世代のツールをより堅牢な臨床評価ツールに置き換えることができる。
第三に、周術期には、投薬の簡素化、術後早期の視覚聴覚障害の特定、鎮静の最小化などによって人的要因の変化に影響を与える可能性がある。これらの提案された変更はいずれも多額の設備投資や複雑な診療の再設計を伴うものではなく、これらの介入を日常業務に組み込んで、高齢者において患者中心の目標を達成することができる。
最後に、POD介入は、研究科学に必要な特異性の高いアウトカムの測定に焦点を合わせるのではなく、実践科学の測定を採用するべきである。PODまたはより特異的な治療法の信頼できる有効な診断バイオマーカーが開発されるまで、アウトカムの測定に依存するのではなく、管理チャートやプロセス測定などのパフォーマンス改善ツールを利用して、診断、モニタリング、および治療の変化を測定することでメリットが得られる場合がある。
結論
35年前、APSFは「いかなる患者も麻酔による害を被るべきではない…」という使命を明確にした。時間の経過とともに、心臓血管虚脱、低酸素血症、誤投薬、およびヒューマンエラーの防止に向けた大きな進歩が、麻酔安全に業界を変える改善を行った組織から現れた。これらの努力は、PODを予防し、患者をベースラインの認知機能以上に戻すために、周術期の脳の健康の新たな最前線でなされている。神経科学革命の時代において、APSFはPODの公衆衛生問題に取り組むための重大なタスクを担っている。コストは高く、病態生理学、予防および治療に関する科学には横断する大きなギャップがあり、ワークフローには標準化が必要である。私たちは、私たちの行動を成文化し、この次の最前線を征服するための実践科学の基礎となる新しい知識の発見をサポートする私たちの専門を楽しみにしている。
Nirav Kamdarはカリフォルニア州ロサンゼルスのUCLA Healthの麻酔学および周術期医学科の臨床assistant professor(日本の講師、助教に相当)である。
Phillip Vlisidesはミシガン大学医学部(ミシガン州アナーバー)の麻酔科および意識科学センターのassistant professor(日本の講師、助教に相当)である。
Dan Coleはカリフォルニア州ロサンゼルスのUCLA Healthの麻酔学および周術期医学科の臨床麻酔科学の教授である。
著者らに開示すべき利益相反はない。
参考文献
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