背景
状況認識(Situation Awareness, SA)の原則は、航空宇宙心理学に由来する。この分野は、複雑で動的であり、しばしば予期せぬ状況に対処することが日常的な課題になる点で医学と類似している。スタンフォード大学の麻酔科医であり、APSFの前理事であるDavid Gaba医学博士は、約30年前にこの関連性を認識し、SAという概念を麻酔科学の分野に導入した。1 その20年後、SAはその発案者であるエンジニアのMica Endsley博士2 と麻酔科医のChristian Schulz医学博士の共同の努力により復活した。3 この寄稿ではSAエラーがしばしば患者への危害の根底にあることから、この概念に再び焦点を当て、患者安全性にとって非常に重要であることを強調することを目的とする。4,5
状況認識(SA)
SAとは、環境からの情報の個々の要素を認識し(SAレベル1)、全体像を理解し(SAレベル2)、最終的にその理解したことを近未来に投影する(SAレベル3)という循環シーケンスを含む3段階の概念である。関連する情報が認識されて初めて、その重要性が理解され、状況の先を予測するために使われる。言い換えれば、SAは特定の状況とその近未来のメンタルモデルを構築することにより、意思決定能力の基礎として機能し、行動の結果を予測できるようになる。SAを構築する能力は、経験、知識、トレーニングによってプラスの影響を受ける。逆に、疲労、過剰な作業負荷、システムの複雑さなどの要因はSAに悪影響を及ぼす(図1)。6
図1は、効果的なSAが患者安全性の向上につながることを示している。この概念を実証するために、以下麻酔業務の例を考えてみよう:医療提供者は最初は血圧が徐々に低下していること、次に吸引キャニスター内の血液量が増加していること、最後にますます神経質になっていく外科医を観察する(SAレベル1)。そうして初めて、出血している状況(SAレベル2)である可能性が高いことを理解し、重症度によっては支援が必要(SAレベル3)であることを予測できる。このようにして、電話で助けを呼ぶ決断をし、次のステップに進むことができる。専門医が新たな課題に適応し、患者の安全を最適化できるようにこのサイクルを継続的に繰り返す必要がある。SA構築に必要な労力を軽減することで、医療従事者は患者の安全に関する意思決定をより迅速に、より少ない作業負荷で行えるようになる。
図1は、Endsleyの状況認識モデルに基づいており2、状況認識が患者の安全に及ぼす影響を示すために著者らが修正したものである。航空業界と同様に、医療におけるエラーの少なくとも4分の3はヒューマンエラー、つまり最終的には状況認識エラーなのである。
状況認識:医療事故と航空事故の類似点
世界保健機関 (WHO) は、医療の最も基本的な原則として「First, do no harm( まず、危害を加えない)」と述べている。7 にもかかわらず、およそ患者の10人に1人が医療現場で有害事象を経験しており、その50%以上は予防可能であると考えられている。8,9 患者への典型的な有害事象には、投薬ミス、安全でない手術行為(経験の浅い外科医による非定型手技の実施、誤った部位への手術、手術器具の体内への置き忘れ、麻酔関連のミスなど)、医療関連の感染症、誤診などである。7 Schulzらは、医療過誤の申し立てと重大なインシデント報告システムの事例の分析に基づき、麻酔学および集中治療における全エラーの4分の3以上がSAの欠陥に起因しうることを明らかにした。3,10
航空業界と状況認識
航空業界でも同様の課題が存在し、事故の約80~85%がSA問題に起因している。11 実際、過去20年間で最悪の米国航空事故3件(サンフランシスコでのアシアナ航空214便12、ニューヨーク州バッファローでのコルガン・エア3407便13、ケンタッキー州レキシントンでのコムエア519便14)のすべてSAエラーに起因している。SAという用語が作られる数十年前の1930年代、航空業界は、チェックリストなしでは人間が安全に操作することができないほど機械が複雑になっていることを認識した。以来、技術と訓練を改善し、チェックリストなどの標準操作手順の使用を実施し、SAを最適化するための意識を高めることによって、現在の高い安全基準を達成してきた。15
医療において、Schulzらは最も一般的なタイプのエラーはレベル1エラーであるとした。レベル1エラーでは、介護者が呼吸パラメータの設定に気を取られ、血圧の変化に気付かない場合など、環境から得られる情報を個人が認識できなかったというものである。認識された情報の誤解と近未来の状況の誤った予測は、2番目と3番目に多いエラーのサブタイプであった。4,10 麻酔患者安全財団が挙げた患者安全優先事項トップ10は、最も重要である。16 これらの優先事項に取り組む際には、患者安全性を最重要と見なし、SA最適化のレンズを通してそれらを検討することが不可欠である。
状況認識と患者の安全を向上させるために何ができるだろうか?
この核心的な質問に答えるには、SA設計の第一の目的である目標に関連した情報を意思決定者に効率的に伝達し、最小限の認知労力で情報に基づいたタイムリーな治療上の意思決定を行えるようにすることを考慮しなければならない。Mica Endsley博士は、著書Designingfor Situation Awarenessの中で、SAに最適化されたシステムに焦点を当てる際に考慮すべき8つの点を明記している。6 医療に適用する場合、これらに限定されるものではないが、チェックリストや直観的な視覚化技術などを使用して、最も重要なデータを認識し理解を促進するために、関連する情報を整理して表示することが含まれる。医療従事者が複雑な状況を包括的に理解しながら効率的な意思決定を行うためには、色、形、周波数の変化など注意を引くようなシグナルによって重要な手がかりを簡単に識別できなければならない。それは人間が本来持つ並列処理能力を活用し、人間の視覚情報処理の原理に従って情報伝達を最適化することにより実現できよう。さらに、予測アルゴリズムに基づく新しいテクノロジーを導入することで、レベル3 のSA予測を直接サポートしうる。
これらの原則を医療に導入することで、世界保健機関の世界患者安全行動計画の目標「安全でない医療による回避可能な危害を世界的に最大限削減するために」の実現に役立つことを我々は願っている。7 安全設計の取り組みの焦点は、図1に概説されているタスク、環境、個人の要因を考慮してあらゆる角度からSAを最適化することである。
医療と航空業界におけるSAを比較する場合、健康な患者の場合推定20万分の1の死亡リスクに遭遇するには、548年間毎日麻酔が必要となる一方、17 国際航空運送協会(IATA)の2023年の安全実績報告書によると25,000年間毎日飛び続けないと致命的な飛行機事故に直面しない。18 このような死亡事故はまれであるが、SAが欠如すると重大な事故ははるかに多く発生する。不十分なSAは、ほとんどの患者安全問題の根本原因であり、SA指向の考え方を用いることで改善できるため、SAに取り組むことは重要である。
David W. Tscholl, MDは、スイスのチューリッヒにあるチューリッヒ大学およびチューリッヒ大学病院麻酔研究所麻酔学コンサルタントである。
Cynthia A. Hunn, MDは、スイスのチューリッヒにあるチューリッヒ大学およびチューリッヒ大学病院麻酔研究所の麻酔科研修医である。
Greta Gasciauskaite, MDは、スイスのチューリッヒにあるチューリッヒ大学およびチューリッヒ大学病院麻酔研究所の麻酔科研修医である。
David W. Tscholl, MDは、オランダ・アムステルダムのKoninklijke Philips N.V.、マサチューセッツ州ベッドフォードInstrumentation Laboratoryから助成金、研究資金、謝金を受領した。Swiss Foundation for Anaesthesia Research(スイス、チューリッヒ)およびInternational Symposiumon Intensive Care and Emergency MedicineBrussels(ベルギー、ブリュッセル)Cynthia A.Hunn, MDとGreta Gasciauskaite, MDに開示すべき利益相反はない。
参考文献
- Gaba DM, Howard SK, Small SD. Situation awareness in anesthesiology. Human Factors. 1995;37:20–31. PMID: 7790008.
- Endsley MR. Toward a theory of situation awareness in dynamic systems. Human Factors. 1995;37:32–64. doi: 10.1518/001872095779049543
- Schulz CM, Endsley MR, Kochs EF, et al. Situation awareness in anesthesia: concept and research. Anesthesiology. 2013;118:729–742. PMID: 23291626.
- Schulz CM, Burden A, Posner KL, et al. Frequency and type of situational awareness errors contributing to death and brain damage: a closed claims analysis. Anesthesiology. 2017;127:326–337. PMID: 28459735
- Schulz CM, Krautheim V, Hackemann A, et al. Situation awareness errors in anesthesia and critical care in 200 cases of a critical incident reporting system. BMC Anesthesiol. 2016;16:4. PMID: 26772179.
- Endsley MR. Designing for situation awareness: an approach to user-centered design. 2nd ed. CRC Press Inc. Boca Raton, FL, USA; 2011.
- World Health Organization. Patient safety. https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/patient-safety. Accessed November 12, 2023.
- Slawomirski L, Klazinga N. The economics of patient safety: from analysis to action. Organisation for Economic Co-operation and Development. https://www.oecd.org/health/health-systems/Economics-of-Patient-Safety-October-2020.pdf. Accessed November 12, 2023.
- Panagioti M, Khan K, Keers RN, et al. Prevalence, severity, and nature of preventable patient harm across medical care settings: systematic review and meta-analysis. BMJ. 2019;366:l4185. PMID: 31315828.
- Schulz CM, Krautheim V, Hackemann A, et al. Situation awareness errors in anesthesia and critical care in 200 cases of a critical incident reporting system. BMC Anesthesiol. 2016;16:4. PMID: 26772179.
- Jones DG, Endsley MR. Sources of situation awareness errors in aviation. Aviat Space Environ Med. 1996;67:507–512. PMID: 8827130.
- Board NTS. Descent below visual glidepath and impact with seawall, Asiana Airlines Flight 214, Boeing 777-200ER, HL7742, San Francisco, California July 6, 2013. 2014. https://www.ntsb.gov/investigations/accidentreports/reports/aar1401.pdf. Accessed November 15, 2023.
- Board NTS. Loss of control on approach, Colgan Air, Inc., Operating as Continental connection flight 3407, Bombardier DHC-8-400, N200WQ, Clarence Center, New York, February 12, 2009. 2010. https://www.ntsb.gov/investigations/accidentreports/reports/aar1001.pdf. Accessed November 15, 2023.
- Board NTS. Attempted takeoff from wrong runway, Comair Flight 5191, Bombardier CL-600-2B19, N431CA, Lexington, Kentucky, August 27, 2006. 2007. https://www.ntsb.gov/investigations/AccidentReports/Reports/AAR0705.pdf. Accessed November 14, 2023.
- University of Calgary |VP Services| Environment HaS. Safety Moment. Use of checklists as an administrative control. https://www.ucalgary.ca/risk/sites/default/files/teams/13/EHS_SM__Use_of_Checklists_as_an_Administrative_Control.pdf. Accessed November 13, 2023
- Greenberg S. The APSF revisits its top 10 patient safety priorities. APSF Newsletter. 2021;36:48,53. https://www.apsf.org/article/the-apsf-revisits-its-top-10-patient-safety-priorities/
- Essentials CCH. How safe is anesthesia? 5 common concerns. https://health.clevelandclinic.org/safe-anesthesia-5-things-know. Accessed November 14, 2023.
- IATA. IATA releases 2022 airline safety performance. https://www.iata.org/en/pressroom/2023-releases/2023-03-07-01/. Accessed November 13, 2023.