患者が、麻酔が脳に影響を与えるかどうか、またどのように影響するかを尋ねるのは珍しいことではない。周術期の脳の健康は、高齢の患者、家族、介護者にとって特に重要な懸念事項である。そのため、脳の健康はAPSF患者安全に関する優先事項として認識されている。65歳以上の米国人の数は2060年までに倍増して9,500万人になると予測されており、1 外科手術全体の40%近くが65歳以上の患者に対して行われている。2 加齢に伴い、併存疾患の頻度と複雑さが増し、周術期ケアが困難となり、周術期神経認知障害(PND)を含むアウトカム悪化のリスクの一因となる。1 周術期の介入によって脳の健康を最適化することは最重要である。麻酔専門職は、周術期チームの不可欠なメンバーとして、PNDのリスクがある患者を特定し、その発生を減らすための具体的な手段を確実に講じることによって、患者のアウトカムを改善させる独自の立場にある。
複数の学会や組織が、周術期の脳の健康に関する推奨事項を提案し、枠組みの概要を示し、ガイドラインを発行している。3-8 これらの推奨事項に従って、多くの医療機関が手術患者のPNDを予防するプログラムを確立している。これらのガイドラインやプログラムはいずれも、術前、術中、術後に介入する集学的チームベースのアプローチの必要性を強調している。
米国医学アカデミーは、高齢患者人口の増加を21世紀の決定的な課題として認識している。9 そのため、2017年にJohn A. Hartford財団とInstitute of Healthcare Improvementは、American Hospital AssociationおよびCatholic Health Association of the United Statesと共同で、高齢者の健康、生産性、生活の質を向上させるために「高齢者に優しい医療システム」を立ち上げた。
「高齢者に優しい医療システム」は4つのMの枠組みを用いている。大切なものを思い出すこと(What Matters)、可動性(Mobility)、薬物(Medication)、精神機能(Mentation)である(図1)。10
周術期神経認知障害(PND)の影響
術後せん妄は、手術後7日以内に発症する不注意や錯乱を特徴とし、高齢者の術後で最も一般的な有害事象であり、その発生率は最大65%である。3 術後せん妄によって医療費は増加し、年間329億ドルの費用がかかると推定されている。11 術後せん妄に寄与する要因については、他の周術期神経認知障害よりも多くのことが知られている。65歳以上の年齢、術前からの認知機能低下、日常的活動の遂行能力の低下、視覚・感覚障害、慢性疾患などの素因に、手術時間や侵襲度、術後痛の管理、特定の薬剤使用などの誘発因子が加わると、術後せん妄のリスクが高まる。さらに、術後せん妄は、入院期間の延長、重篤合併症の発症率と死亡率の上昇、患者と家族の深刻な苦痛と関連している。4,12 術前の認知機能が正常だった患者が術後せん妄を発症すると、後に認知障害をきたす可能性が高くなる。13,14 せん妄はまた、長期的な神経認知機能の低下と関連することが示されている。3,15 Hospital Elder Life Program(HELP)は、せん妄のリスク因子を対象としたエビデンスに基づくアプローチであり、せん妄症例のほぼ半数が予防できることを示した。16 手術患者を対象とした修正HELPプロトコル(方向づけコミュニケーション、早期離床、経口・栄養補助)の研究では、せん妄の発生率が 56%減少した。この研究の著者らは、このプログラムの有効性は、専任の看護師によって促進されたプロトコルの日常的な遵守によるものであると評価している。現在までに、いくつかの施設がこのガイドラインを実践した経験と結果を発表しており、せん妄が予防できることを証明している。17
麻酔専門職に何ができるか?
いくつかの学会が、周術期の脳の健康を維持するためのベストプラクティスガイドラインを発行している。American Geriatrics Society(AGS),7 American College of Surgeons(ACS),18 American Society of Anesthesiologists(ASA)のBrain Health Initiative,4 第6回Perioperative Quality Initiative consensus conference(POQI-6)と第5回International Perioperative Neurotoxicity Working Group5 では、医療専門職が認知機能低下リスクのある患者を特定し、術後の認知機能障害を予防するための指針となる推奨事項を示している。既存の認知障害は、術後せん妄やその他の合併症の重大なリスク因子である。19,6 これらのガイドラインはいずれも、65歳以上の全患者に対して認知機能スクリーニングとPNDリスク因子の評価を実施することを推奨している。4-8 Mini-Cog、Mini-Mental State Examination (MMSE)、Montreal Cognitive Assessment (MoCA)などのいくつかの認知スクリーニングツールは、迅速で使いやすく、正式なトレーニングを必要としないため、術前診察で使用できる可能性がある。1,6 スクリーニング検査で異常が確認されれば、患者に潜在的な認知障害に対するさらなる評価と治療を行い、外科的介入の前にPNDのリスクについて説明し、高リスク患者に有益なリソースや介入を紹介することが可能である。1,6 せん妄に対する介入には、モビリゼーション(運動)、オリエンテーション、睡眠衛生、術後の身の回りの物(眼鏡、補聴器、義歯)の返却、医療者に対するせん妄に関する教育などがある。4-8
PNDのリスクがある患者では、特定の薬物を避けることを支持するエビデンスもある(図2)。American Geriatrics SocietyのBeers基準では、高リスク患者には、ベンゾジアゼピン系薬、抗コリン薬、抗精神病薬、メペリジン、ガバペンチンなどの潜在的に不適切な薬物の投与を避けることを推奨している。20 オピオイドを制限した多角的鎮痛が推奨される。21 これらの薬物と術後せん妄との関連性を裏付ける強力なエビデンスがあることから、これらの推奨事項は周術期の脳の健康状態を改善するための重要な目標となりうる。15
上記の推奨事項は合意されているが、その他の領域は依然として不明確である。術後せん妄やPNDを軽減するための脳波(EEG)ガイド下麻酔薬投与に関するデータは一致していないが、脳活動抑制を引き起こす麻酔薬の過剰投与をEEGで回避することで恩恵を受ける認知虚弱患者の群が存在する可能性があると主張している著者もいる。1 同様に、術中の血圧管理や麻酔法の選択がPNDに及ぼす影響についても相反するデータがある。Best Practices for Perioperative Brain Healthでは、これらの領域でさらなる研究が必要である一方、麻酔専門職は「高齢患者では、年齢調整した呼気終期の最小肺胞濃度(MAC)をモニターし、脳灌流の最適化に努め、脳波に基づいた麻酔管理を行うべきである」と述べている。6
リスクのある患者を特定し、周術期の脳の健康に寄与する複数の要因に対処するための包括的なプログラムが必要である。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の著者らは、周術期の脳の健康のために「周術期せん妄の予防と治療経路」を導入した経験について述べている。15,22 まず、関係部署を特定し、彼らからのフィードバックを受けた。その後、ミーティングや電子メールを通じて教育資料を提供した。この研究では、患者を、年齢、WORLDの逆順スペリング、見当識、疾患重症度、術式別のリスク(AWOL-S)ツールを用いてスクリーニングした。具体的には、年齢80歳以上、「WORLD」のスペリングを逆から書けない、見当識障害、ASA分類、National Surgical Quality Improvement Program(NSQIP)データに基づく手術特異的リスクである。せん妄のリスクが5%を超える患者には、電子カルテにバナーでフラグを立てた。実施を容易にするために、せん妄スクリーニングの質問は、術前担当看護師が行っていた既存の質問に組み込んだ。PACU(麻酔後ケアユニット)の標準的なオーダーセットには、Beers基準の潜在的に不適切な薬物がいくつか含まれているため、これらの薬物を使用しないように変更した。また、標準的に使用しているPACU申し送りツールにもせん妄リスクを追加した。著者らは、既存のワークフローに変更を組み込んだことや、電子カルテを用いて自動化されたプロセスが、行動変容を促進するうえで最も効果的であったと強調している。22
南カリフォルニア大学の術前評価クリニックでルーチンの認知スクリーニングを実施したところ、Mini-Cogテストによる術前認知スクリーニングは、認知スクリーニングの経験がなくても実施可能であることが明らかになった。高リスク患者には電子カルテでアラートを表示し、術前に老年病専門医と老年病専門薬剤師に紹介した。患者の21%が認知機能障害のスクリーニングで陽性となり、このような認知機能スクリーニングをしなければかなりの割合の患者が見逃されていただろうことを発見した。これらの知見により、術前クリニックや施設内での「賛同」が高まった。23
残された多くの疑問が研究によって解き明かされつつある今、既存の推奨事項や公表された経験を臨床実践にどのように取り入れたらよいのだろうか。周術期の脳の健康に関する最近の推奨事項と、ASAのBrain Health Initiativeによる呼びかけにもかかわらず、4 最近の調査では 術前スクリーニングの実施率は10%未満であったと報告されている。24 複数の著者が、看護師、外科医、患者、家族、組織や部門の指導者、薬剤師を含む多くの部署が関与することの重要性を強調している。15,23 既存のEnhanced Recovery After Surgery(ERAS)プロトコルは、エビデンスに基づいた介入によって周術期ケアのさまざまな側面を改善するために集学的チームベースのアプローチを用いており、周術期の脳の健康に関する推奨事項の実施に利用できる可能性がある。25 2005年の開始以来、ERAS は世界中に拡大し、現在では周術期医療の分野で広く受け入れられている。研究者らは、独立したプロトコルではなく、既存のERASプロトコルに組み込む「脳ERAS」プロトコルを提案している。25
情報技術が広く利用できるようになったことで、より多くの患者が情報を得て自分の健康管理に積極的に参加するようになっている。麻酔専門職はこの動きを活用して、患者、その介護者、ケアチームが、リスクのある患者のPND予防を含め、患者の転帰を最適化できるよう支援すべきである。
Natalie C. Morelandは、カリフォルニア州ロサンゼルスのカリフォルニア大学David Geffen医学部の麻酔科学の臨床助教である。
Lena Scottoは、カリフォルニア州ポロアルトのVeterans Affairs Palo Alto Health Care Systemの麻酔科および周術期ケアサービスの麻酔科医・集中治療医であり、スタンフォード大学医学部の麻酔科学・周術期医学・疼痛医学(提携)の臨床助教である。
Arnoley S. Abcejoは、ミネソタ州ロチェスターのMayo Clinicの麻酔科学の助教・麻酔科指導医である。
Emily Methangkoolは、カリフォルニア州ロサンゼルスのカリフォルニア大学David Geffen医学部の麻酔科学の臨床准教授である。
Natalie C. MorelandとLena Scottoには開示すべき利益相反はない。Arnoley S Abcejoは、UpToDate社から著者印税を受領している。Emily Methangkoolは、UpToDate社から著者印税を受領しており、Edwards LifeSciences社(講演者事務局および試験運営委員会)から謝礼金を受領している。
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