はじめに
サブスペシャリティとしての腫瘍麻酔は、過去数年間で徐々に脚光を浴びてきている。麻酔計画を立案する際には、がん患者の一部が呈している併存疾患に加えて、抗腫瘍療法との相互作用とその影響も考慮する必要がある。これらの新しいリスクは、患者の安全管理に関する課題を腫瘍麻酔専門家に課している。術前の考慮事項には、麻酔薬に対する化学療法の影響が含まれる。術中の考慮事項には、がん患者の術中低体温症のリスクの評価、患者の体位と末梢神経損傷に関する問題、および麻酔患者のモニタリングが含まれる。術後の考慮事項には、術後の痛みと悪性腫瘍による既存の痛みの複合作用の管理、および患者の心理的サポートと手術後の予後との関連が含まれる。
術前の留意事項
化学療法が麻酔管理に与える影響—心臓と肺に関する考慮事項
麻酔専門家は、待機手術または緊急手術を必要とする化学療法を受けている患者の麻酔管理に対する専門的なアプローチを検討しなければならない。化学療法の毒性を受ける2つの主な臓器は、心臓と肺であり、毒性の程度は、使用薬剤、投与量、および使用期間によって異なる。1 心臓毒性に関連する一般的な化学療法薬には、ブスルファン、シスプラチン、シクロホスファミド、ドキソルビシン、5-フルオロウラシなどがある。 1 このような患者の場合、潜在的な合併症の発症と病因を特定するために、麻酔前に心機能と呼吸機能を注意深く評価する必要がある。緊急時には、ポイントオブケア超音波(PoCUS)を使用することで、十分な術前評価が行われていない患者の循環血液量、心機能、呼吸機能に関する情報を麻酔専門家に提供できる。2
Streptomyces属から抽出された薬剤ファミリーであるアントラサイクリン化学療法(ドキソルビシンなど)で治療を受けている患者は、βアドレナリン受容体アゴニストでは難治性の、急性術中左心室不全を発症する可能性がある。1 この急性発症の左心室不全は、この薬剤クラスに関連する化学療法誘発性心毒性のリスクが原因である可能性が高く、一部の患者では使用が制限されている。3 化学療法によって誘発される心毒性を発症する患者では、ホスホジエステラーゼ阻害薬の投与が適応となる。1
肺毒性に関連する一般的な化学療法薬には、メトトレキサート、ブレオマイシン、ブスルファン、シクロホスファミド、シタラビン、およびカルムスチンが含まれる。1 患者は、用量依存性間質性肺炎や肺静脈閉塞性疾患などの肺合併症を発症する可能性がある。1 初期症状は、乾性咳嗽、労作時の息切れ、胸部X線写真上の微小な変化に限られる場合がある。4 ただし、術後、これらの患者は機械的人工呼吸の期間を必要とする場合がある。4 高濃度の酸素吸入は、患者がブレオマイシン誘発性肺損傷を発症するリスクを高めることが示されている。4 したがって、ブレオマイシンで治療されている患者では、呼吸器合併症のリスクを軽減するために、術中および術後の酸素濃度を下げることが推奨されている。4,5
術中の留意事項
がん患者における術中低体温症
すべての手術患者の50%~70% が術中に低体温症を経験する。6 手術時間、年齢、およびベースラインの体温は、術中低体温症を発症する危険因子として特定されている。7がん患者の外科手術は、手術時間と麻酔時間が長くなることが多いため、術中低体温症(手術中の深部体温<36.0℃)を発症するリスクが高くなる可能性がある)。8術中低体温症は、術中正常体温の患者と比較して、全身麻酔からの回復時間の延長、不整脈、凝固障害、挿管時間の延長、および術後入院期間の延長と関連している。6 がん手術中の低体温は、特に消化管がんの手術を受ける患者において、術後の免疫機能とサイトカインレベルに著しい悪影響を与えることが示されている。6 術中低体温症のがん患者は、正常体温の患者と比較して、あらゆる種類の術後合併症の発生率の増加、および12か月以内の病理学的ステージの高悪性度、再発率の増加を起こす可能性がある。8
したがって、麻酔時間が60分を超える場合は、温風式加温装置を使用した対流加熱によって術中加温を行う必要がある。9 術中の輸液または輸血も加温するべきである。9 術後は低体温症の発生を防ぐために患者を断熱するべきであり、シバリングを抑えるためにクロニジンやメペリジンなどの薬を投与する。9 デクスメデトミジンは、クロニジンやメペリジンなどのシバリング抑制薬と同様の有効性を示すが、鎮静、低血圧、口渇、徐脈のリスクを高める可能性がある。10
術中の患者体位と末梢神経損傷の予防
腫瘍切除手術では、腫瘍組織による神経構造への圧迫や衝撃によって、神経損傷がしばしば発生する。不適切な患者体位も、末梢神経損傷につながる。尺骨神経、腕神経叢、および総腓骨神経は、手術中最も損傷を受けやすい。11 麻酔専門家は、最初の体位取りの時と手術中に警戒が必要である。11 肘の周りに配置されたパッド入りアームボードまたはパッドの使用は、周術期の上肢神経損傷のリスクを軽減することが示されている。12腓骨頭に硬い表面が与える圧力を制限して腓骨神経損傷のリスクを軽減するために、パッドを戦略的に配置することもできる。12
麻酔中のがん患者の術中モニタリング
高リスク患者の術中モニタリング(高リスク患者は、既往歴、併存疾患、年齢、体格指数、ASA分類、フレイル、可動能力の低下、末期疾患の存在、および手術の種類と複雑さによって定義される)によって、麻酔専門家はショック状態の発症と病因を早期に検出して、的を射た介入を実施できるようになる。血行動態が安定している患者では、術中モニタリングとして継続的な心電図モニタリング、非観血的血圧測定、呼気終末二酸化炭素モニタリング、および末梢パルスオキシメトリが適切である。2 血行動態が不安定な患者では、麻酔専門家は、連続的観血的血圧測定と動脈血ガス分析のための動脈ライン確保を検討するべきである。2 臨床現場へのPoCUSの実装は、循環血液量の状態、心機能、肺の状態、および呼吸機能に関する追加情報を提供する可能性があり、腹腔内、胸腔内出血、輸液不足を早期に検出するための基本的なアプローチとなりつつある。2
術後の留意事項
麻酔専門家はがん患者の術後疼痛管理の複雑さを考慮することが重要である。がん患者の適切な痛みの軽減に対する障壁は、政治(例:オピオイドの入手可能性)、処方者関連(例:痛みの評価と管理に関する教育が不十分、オピオイド処方に対する不安、呼吸抑制や過度の鎮静に関する懸念)、患者への動機付け(例:依存症への恐れ、治療が人生の最終段階を意味するのではとの恐れ、副作用の恐れ)である可能性がある。13 軽度のがん性疼痛の薬理学的管理には、パラセタモール/アセトアミノフェンおよび/または非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)などの非オピオイド鎮痛薬が使用されることが多い。中等度および重度のがんの痛みの治療には、それぞれ「弱い」もしくは低強度のオピオイドと、「強い」もしくは強力なオピオイドが処方される。13 術後のがん患者では、既存のがん性疼痛と術後に発生し得る疼痛との潜在的な複合効果によって、疼痛管理はより複雑になる。がん患者の5~10%に持続的な重度の術後痛が見られるが、これは多くの場合、神経損傷と引き続き起こる外傷反応としての中枢性感作である。14
多くのがん患者は、長期にわたり高用量のオピオイドを服用している。したがって、周術期に必要なオピオイドは増加する。15 これらの患者では、非オピオイド鎮痛のベースラインを提供するために、マルチモーダル鎮痛戦略が重要である。例えば、パラセタモール/NSAIDやガバペンチンの様なα2δサブユニットモジュレーターの使用である。 15 周術期の静脈内ケタミンは、術後の鎮痛薬の必要量と痛みの強さを軽減する。16 メタアナリシスでは、痛みを軽減するための術中リドカイン注入の利点はまだ確認されていない。17
一方、長期カテーテル留置による局所麻酔薬注入は、術後の慢性疼痛の発生率を低下させることが示されている。18 末梢神経ブロックは術後の区域麻酔にも活用されており、PoCUSの適用によって合併症、施行時間、局所麻酔の必要量が改善されている。18 術後疼痛管理における末梢神経ブロックの利点は、脊髄幹麻酔または全身麻酔と比較して、交感神経遮断や尿閉などの全身性副作用が軽減することである。18 最近では、筋膜面ブロックの登場によって、胸部および腹部の術後疼痛管理における区域麻酔の適用がさらに拡大している。19
患者の心理的留意事項
術後のがん患者における精神的苦痛、特に抑うつは、患者の管理において新たな問題となっている。これらの患者では、心理的サポートとカウンセリングへの紹介とアクセスが患者の転帰を改善する上で重要である。原発性肺がんの根治的外科切除を受けたがん患者の研究は、外科的介入後の残存症状の存在によって、手術後の抑うつと不安が悪化したことを示している。20 この研究では、術前の抑うつの存在で補正した後、開胸術、術後の呼吸困難、激しい痛み、糖尿病が、術後の抑うつの危険因子として特定された。20
心理カウンセリングへのアクセスを提供することは、がん治療のすべての段階で重要である。21 患者は、初期診断から治療および長期的な身体機能の管理まで、がん治療のすべての段階で心理カウンセリングから恩恵を受けることが示されいる。21 心理的苦痛は、乳房切除術を受けた乳がん患者にもよく見られる。乳癌のために乳房切除を受けた患者の抑うつの発生率は、対照群と比較して、乳房切除後最長3年間、特に若年成人で有意に増加した。22 心理カウンセリングによってこれらの患者の術後抑うつの克服と予防をすることは、患者の罹患率と死亡率を改善する可能性がある。
結論
がん患者の周術期の安全管理に際して、腫瘍麻酔の専門家が直面する課題は多様で複雑である。しかし、これらの脆弱な患者をサポートしながら最高のケアの質を確保するには、麻酔管理と抗腫瘍療法の間の潜在的なリスクを正しく検討する必要がある。
Dylan Irvineは、フロリダ州DavieにあるNova Southeastern University College of Osteopathic Medicineの2年生である。
Jeffrey Huangは、Anesthesiology, Health Outcomes and Behavior at Moffitt Cancer Centerのシニアメンバーであり、フロリダ州のUniversity of South Floridaの腫瘍科学の教授である。
著者らに開示すべき利益相反はない。
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